最近、「当たり前だと思ってること」について、ちょっと考えた。
例えば、地球が丸いっていう話。
私はほぼ確信してる。
でも、よく考えたら実際に地球を外から見たことなんてない。
ほとんどの人も、そうなんじゃないかと思う。
**
改めて思うんだけど、
私たちは、実際に体験してないことにも、けっこう確信を持って生きてる。
これって、よく考えたらちょっと不思議だと思った。
じゃあ、どうして確信できるんだろう?
実際には、確信はできていないけど、たぶんこれが正しいんだろうと、暫定的な正解のようなものを見つけているだけなのかもしれない。
この世界にある膨大な情報を、
全部自分で体験して確かめるのは、時間的にも労力的にも現実的じゃない。
だから、
- 本を読んだり
- 誰かの話を聞いたり
- テレビやモニターを通して見たり
そういう二次情報を**「これは信頼していいか」**と各自が判断して、
自分の中に取り込んでいくんだろう。
**
例えば私が「地球は丸い」と思っているのも、
体験と知識の積み重ねによるものだ。
- 河原で寝転んで夜空を見上げたら、空がドームみたいに見えた
- 海や広い場所では、空と地平線の間がほんの少し曲がっている気がした
- 月や惑星を望遠鏡で見たとき、球体に見えた
- ラーメンの上の油が、くっついて大きな丸になるのを見ると、無重力空間で質量を持ったもの同士が集まって球になっていくのも、想像できる
こういう感覚的な体験に、
教科書や科学者たちの話が加わって、
「地球は丸いんだろうな」というイメージが強くなっていった。
ただ、残念なことに、どこまで行ってもそれは「ほぼ」確信で、
絶対的な正解とか、証明にたどり着くわけではない。
しかも、
人間の認知って結構ズレたり歪んだりする。
記憶違いもあるし、意図的なウソやミスリードも世の中にはたくさんある。
現代のネット社会がやたらと混沌としてるのも、
この「二次情報の信頼度チェック」がめちゃくちゃ難しくなってるからなんだろうなと思う。
**
だから、
当たり前だと思ってることも、
たまには問い直してみるのがいいかもしれない。
ちょっと視点を変えてみると、
自分自身がどう世界を見てるか、
ふわっと浮かび上がってくる。
**
この前たまたまテレビで見た、地球平面説を信じる人たちも、
私とは違う情報を見聞きして、
私とは違う結論にたどり着いているだけで、
「見聞きし、考え、信じる」というプロセス自体は、きっと同じなんだろうなと思った。
そんなことを思い、当たり前と思っていることも、少し問い直してみると、自分自身の思考の過程みたいなものにも気づけて面白いな、と思った話でした。
コメント